タイムズ・スクウェア(Times Square)

タイムズ・スクウェア(Times Square)は、アメリカ合衆国のニューヨーク市内ミッドタウンにある繁華街・交差点の名称。マンハッタン島の42丁目と7番街、ブロードウェイの交差を中心に位置し、東西は6番街から9番街まで、南北は39丁目あたりから52丁目あたりに広がるが、厳密な境界はない。いわゆるブロードウェイ・ミュージカルが上演されている各シアターが所在するシアター・ディストリクトの中心とほぼ一致する。

タイムズスクウェアには建物外壁へのビルボードの設置が多く、世界中の企業の広告や巨大ディスプレイ、ネオンサインや電工看板が多くあり、アメリカのみならず世界の繁華街の代表的風景ともいえる。UKポップ・グループ、スパイス・ガールズの大ヒット曲、2Become1のプロモーション・ビデオの撮影地としても有名。世界中からの観光客が集まる場所でもあり、ここの交差点は世界の交差点と言われる。

歴史

1904年4月8日、ジョージ・マクレラン・ジュニア市長により、名称が現在のものへと変更された。当時はニューヨーク・タイムズの本社ビルが42丁目の角にあり、これを元にした名称変更であった。タイムズ紙編集者の要請により、地下鉄駅も作られた。 タイムズ紙本社ビルは1913年に移転したが、タイムズ・スクウェアの名称は残った。

1910年代~1920年代にかけて、劇場・音楽ホール・きらびやかなホテル等により、タイムズ・スクウェアは急速に発展を見せた。1930年代の世界恐慌の訪れとともに、その雰囲気はガラリと変わる。いかがわしいショーや連夜のエロティック・ムービーを上演するような風俗街へと成り下がり、多くの危険地帯も生まれる。その結果、1960年代~1990年代初頭まで、タイムズ・スクウェア一帯はニューヨーク市の危険地帯を代表する場所、とまで言われるようになった。

1990年代半ば、ルドルフ・ジュリアーニ市長の指揮の下、その一帯からはポルノショップ等は姿を消し(ブルックリンやクイーンズへと移った)、安全面を向上させ、観光客に親しみやすい地域、としてタイムズ・スクウェアは生まれ変わった。

カウントダウン

1904年から毎年12月31日夜~1月1日にかけてのカウントダウンは世界的に有名で、2005年度はタイムズ・スクウェアにおけるカウントダウン100周年ということもあり、世界各地から約70万人が訪れた。2007年度はタイムズ・スクウェア・ボールが導入してから100周年であり、初めて発光ダイオード(LED)の水晶球が導入される。

交通・地理

マンハッタン島のミッドタウン、セントラルパークの南端より10ブロック程度南に所在し、マンハッタン島の東西中心からやや西によった付近に所在する。実際に住所はWest地区に属する。

ニューヨーク市地下鉄の「Times Square-42 Street」駅がほぼ直下に立地し、N・R・Q・W線(黄色)と1・2・3線(赤色)、7線(紫色)、S線(黒色)が交差する。A・C・E線(青色)の「42 Street-Port Authority Bus Terminal」駅(8番街42丁目交差点下)ともつながっている。全急行路線が停車する。 クイーンズやダウンタウンからアッパー・ウェストサイドへ向かう場合など、ここで乗換えとなることも多い。

地上や地下駅構内を含め、観光客を含め利用者が非常に多く、駅構内でストリート・ミュージシャンの演奏を見ることも多いなど華やかな場所であるが、混雑や構造の複雑さから乗換えなどを含め、分かりにくい面がある。繁華街一般と同様、スリなどの多発にも注意が喚起されている。タイムズスクウェア周辺といえども夜は繁華街から一歩出ると街灯も非常に暗い路地がある。

タイムズスクエアの西側には、近隣空港・都市などへのバスターミナルであるポート・オーソリティ・バスターミナルが位置する。東側はオフィス街で高層ビルが建ち並ぶほか、ロックフェラー・センター、五番街などのショッピングエリアが隣接する。

サン・ピエトロ広場

サン・ピエトロ広場(サンピエトロひろば、イタリア語:Piazza San Pietro)はバチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大聖堂の正面にある楕円形の広場。ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの設計により、1656-67年に建設された。4列のドーリア式円柱による列柱廊と140体の聖人像に囲まれた広場の中央にオベリスクが立つ。

ベルニーニが辿りついた形、幅 240 メートルもある巨大な楕円形であった。広場を取り囲んでいるのは4列に並べられた合計372本の石柱。そして柱の上には140体もの聖人像が広場に集まった人々を見守るように立ち並んでいる。なぜ、ベルニーニは巨大な楕円形の空間を作り上げたのか ? 実はローマに存在するあるものから大きなヒントを得ていた。古代ローマの闘技場コロッセオ。コロッセオが生み出す熱狂と興奮。ベルニーニはサン・ピエトロ広場を巨大な劇場空間へと変貌させようとした。さらにこの形にはベルニーニのある特別な思いが隠されていた。設計の時に描かれたスケッチを見ると、大きく腕を広げた人体に重ねて大聖堂と広場が描かれている。「サン・ピエトロは全ての教会の母なのであるから。母のように両腕を広げて受け入れることを表現した柱廊が望ましい」。ベルニーニが何よりも重要視していたのは、世界中から救いを求めてサン・ピエトロ広場に集まる信者立ちの心情であった。ベルニーニは信者たちを大きな愛で包み込むような温もりを持った広場にしたかった。さらにベルニーニは、広場を訪れる人々により大きな感動を与えるため、ローマの町にある仕掛けを施した。広場に向かう信者たちが渡るサン・タンジェロ橋。足を踏み入れると、ベルニーニが配した10体の天使が迎えてくれる。持っているのは十字架や茨の冠、キリストの受難を象徴するものなど、信者たちはこの橋を渡りながら、キリストの受難と自らの苦しみを思い、聖地へと向かう。重苦しい受難の道を越え、真っ直ぐ進んでいくとそこには巨大な楕円形の広場が長い旅路の果てに辿りついた信者たちを、神の愛に包まれた安らぎの空間が迎え入れてくれる。さらにベルニーニはこの場所に誰もが驚くトリックを仕掛けていた。それはまるで巨大な壁に並ぶような立柱が特定の印した場所から見ると、柱がピッタリ重なり合い外の世界がきれいに見える。実は4列に並ぶ柱はこの印した場所を中心に放射状に立てられていた。ベルニーニは閉じながら、同時に世界が開かれている、その両方を満たす空間を作ろうとした。広場の中の信者にとって、そこは閉じられ守られた空間である。しかし、同時に世界中にいる信者たちにも救いをもたらすべき場であるとベルニーニは考えた。広場で発せられる神の救いの光は重なり合った柱を抜けて、外の世界に放射状に広がっていく。ベルニーニは地球全体に向かってその光を届かせようとした。

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini,1598年12月7日-1680年11月28日)は、バロックの時期を代表するイタリアの彫刻家、建築家、画家。「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」と賞賛されたバロック芸術の巨匠である。古代遺跡が残る古き都ローマは彼の手によって、壮大なスケール、絢爛豪華な装飾にあふれる美の都に変貌していった。人々は彼の作品を「芸術の奇跡」と絶賛した。